現在、IgA腎症に対する診療の方針が地域や医療施設によりまちまちで、全国の患者さん同士がネットで容易に情報交換ができるため、混乱が生じているのが現状です。このような混乱を生じた原因の一つはIgA腎症に対する考え方が、初めて報告された1968年から40年の間に時代とともに変わってきたことにあります。
世界中の多くの国においてIgA腎症が慢性糸球体腎炎の中で最も頻度が高い原発性糸球体腎炎であることが最初の報告からまだ間もない1970年代には明らかになりました。しかし、腎生検後の観察期間がこの段階ではまだ短かったためIgA腎症の予後は良好と見なされていました。
1980年代になるとIgA腎症の10年を超える経過が徐々に明らかになり、腎症の予後が必ずしも良好でないことが判明してきました。 IgA腎症が必ずしも予後が良好でないことが判明すると、それまでIgA腎症が予後良好疾患であるという概念が先行してすでに頭の中に定着していた腎臓の専門医たちはIgA腎症の中には進行しない通常の「benign IgA nephropathy (良性IgA腎症)」以外に進行性の経過をたどる「progressive IgA nephropathy (進行性IgA腎症)」の一群が存在するという考えを持つようになりました。
わが国で普及した「予後良好群」「予後比較的良好群」「予後比較的不良群」「予後不良群」というIgA腎症の予後分類も同様の理解の延長上にあるものです。そして、1980年代、1990年代には「良性IgA腎症」と「進行性IgA腎症」を比較して後者において統計学的に有意に頻度の高い所見を“予後不良因子”と名づける臨床研究報告が相次ぎました。その代表的なものが(1)高血圧、(2)蛋白尿、(3)腎機能低下、そして?腎生検における進行した腎組織障害度です。
IgA腎症は当初、良性とみなされていたため特別な治療は不要と考えられていましたが、“予後不良因子”を有する「進行性IgA腎症」に限り治療介入を行ない腎症の進行を遅らせるという国際的なコンセンサスが1980代、1990年代には出来上がりました。この時代はアンギオテンシン変換酵素(ACE)阻害薬が腎症進展遅延をもたらす薬剤として世界を席捲した時期に一致し、「進行性IgA腎症」にACE阻害薬を使用することは瞬く間に世界の常識となりました。また、同様に腎症の進行を遅らせるために「進行性IgA腎症」にステロイドや免疫抑制剤を使用するというコンセプトも次第に受け入れられるようになりました。
しかし「良性IgA腎症」と「進行性IgA腎症」の違いの本質は数十年かけて徐々に進行する元来単一な疾患における病期の違いにすぎません。すなわち、発症して比較的間もない、この先10年以内には末期腎不全に陥ることはないであろう段階を「良性IgA腎症」とみなし、一方、発症後すでに長い経過がたち、今後10年以内に末期腎不全に至る段階を「進行性IgA腎症」として区別していたのにすぎないのです。発症から末期腎不全に至るまでは数十年と極めて長い経過をたどることが特徴であるIgA腎症においては時間軸を考慮に入れなければ正しい理解はできません。
IgA腎症は自然寛解する一部の症例を除き長期的には予後不良とみなすのが今日では妥当な解釈といえるでしょう。一方で扁桃摘出・ステロイドパルス併用療法などにより早期の段階であれば寛解・治癒が得られることは現在では確固たる事実です。しかし、腎症がある程度以降の段階にまで進行してしまえば、寛解・治癒を得ることは残念ながら困難となり、腎症の治療目標は専ら腎症の進行遅延となります。
治療のゴールとして「寛解・治癒」と「腎症進行遅延」の違いは患者さんにとっては甚大です。「良性IgA腎症」の段階では治療介入せず「進行性IgA腎症」の段階になるのを待って治療介入を行う旧来のスタンスは寛解・治癒の機会を逸することにつながり、診療コンセプトとしてもはや患者さんは納得しない時代が、検診制度が整備されIgA腎症の早期発見の機会が多いわが国では、すでに到来しています。